駅の改札を抜けると、ホームに降りる階段が二手に分かれる。
右に行くか、左に行くか。
どちらに降りるかは、電車を降りた時エスカレータに近い方を考えて決める。
だから、私はいつも左だ。
先日新聞に、尼崎脱線事故の記事で、「せめて左に降りてくれたら」という
見出しがあった。
USJへと遠足に出かけた娘さんを失った父親の言葉だった。
乗りなれた沿線、どの駅で降りるならどの階段を使って降りれば便利かを知り尽くしてたといい、その日は右の階段を降りて1両目に乗ったという。
ちなみに左に降りたら3両目以降。
助かっていた可能性は高かったかもしれない。
「だから・・・・」と見出しの言葉につながる。
私はその記事を読んで以来、階段の前でふと立ち止まってしまう。
「これが人生の分かれ道なんて・・」
一瞬、背筋が寒くなる。
でも、そんなことを言っていたら、どこだっていつだってそうなのだ。
どこにも踏み出せなくなってしまう。かといって、家に閉じこもっていたら、
家に災いがあるかもしれない。(ん?どこぞのSMAPのCMか??)
昨日静岡で県警のヘリが墜落した。
墜落地点は、通っていた大学のすぐそばで、友達の下宿もいっぱいあったので、私も何度か通ったことがある場所だった。
ただただ、幸いにもその時に墜落しなかったというだけの話だ。
明日私に、家族に、何が起こっても後悔しない人生を送れているだろうか?
30秒先の未来も、3年先の未来も、同じ重さで考えているだろうか?
そんな自問自答を繰り返す日々が続いている。